こんにちは!
ジュエラデザイナーのIYORIです。
本日は七夕。
織姫様と彦星様のお話を思い浮かべますよね。
天の神様には、美しいを織物を織る「織姫」という娘がいました。
化粧もせず仕事に精を出す娘を不憫に思い、天の神様は牛の世話を行っている「彦星」を引き合わせたのです。
2人はすぐに恋に落ち、やがて結婚することに。
しかし、2人は結婚すると仕事をせず、遊んでばかりの生活をするようになってしまいました。
織姫が機織りをしなくなってしまったため天の衣類はすたれ、彦星が放っておいた牛もやせ細る始末。
怒った天の神様は、2人を天の川の東と西に引き離してしまったのです。
すると2人は悲しみにくれて、ますます働こうとしなかったため、天の神様は真面目に働くことを条件に、年に1度だけ2人が会うことを許したのです。
それから毎年7月7日の夜は、織姫と彦星は天の川を渡り、会いに行くようになりました。
こちらのお話は知っている方も多いのではと思います。
ですが「七夕の起源」となると知らない方も多いのではないでしょうか?😳
今回は意外と知らない七夕の起源、そしてその歴史について深堀りしていきたいと思います!
七夕の起源
七夕は一体いつから、どのようにして始まったのでしょうか?
その起源には数多く説がありますが、
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)おりひめとひこぼしの伝説
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
この3つの行事が合わさったものと言われています。
日本の神事 「棚機津(たなばた)」とは?
「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。
選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。
そのときに使われたのが「棚機(たなばた)」という織り機です。
やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。
現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。
おりひめとひこぼしの伝説
琴座のベガと呼ばれる織女(しょくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。
この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。
元々は天の川を挟む星から着想を得たストーリーだったんですね〜😆
中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」とは?
「乞巧奠(きこうでん)」は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかって、はた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。
庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げます。
やがて、はた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになったそうです。
日本に伝わって...
平安時代にその話が日本に伝わると、宮中行事として七夕行事が行われるようになりました。
宮中の人々は桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。
サトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。
これが現代の七夕の、「短冊に願いごとを書く」という行為の原型になっているようですね!✨
やがて江戸時代になると、七夕は庶民の間にも広まっていったとのことです。
最後に
七夕の起源を調べて解説してみましたが、いかがでしたでしょうか?
七夕とは元々中国から伝わって、日本の文化と合わさったものだったんですね〜!😆
七夕への知識が深まって、これから7月7日は周りにちょっとした雑学を披露できそうですね✨
ぜひぜひ、今回の知識を誰かに教えてあげてみてくださいね♪
以上、ジュエラデザイナーのIYORIでした!